WANDERLUST

"袖触れ合うも他生の縁"

死について

 

唐突だけど、私は割と早めに生を終えられたらいいななんてうっすら思ってるし、自分で選択して死ぬことができるのならそれも素敵だなって思ってる。まあある種の逃げと言えばそうなんだけど、決して悲観ではない。

全部やりたいことやってから、とか言っても人間の欲望なんて底なしだし、キリのいいところでスパッと行けたらいいのでは?くらいの感覚。

 

あと家族のこと忘れてしまうくらいなら・家族に苦しい思いさせるくらいならっていうのもあるかなあ。例えば私は祖母がそれはそれはすごい認知症だったんだけど。

大好きだったんだよ祖母のこと。でも、そんな大好きな祖母に対して「早くいなくなればいいのに」って心の底から思うようなドス黒い感情が降ってきて、それに気づいた瞬間まじでショックだった。  自分にはこんな感情があるんだと思って苦しかった。あれは私にとって一生消化できない感覚の内の一つで、もう二度と経験したくない感情。こんな思い家族に抱かせるのも絶対に嫌。

 

暗くなったけどもう少し良い面で見るとみんなにばいばーいって、ありがとうって言ってからいなくなりたいと思うからってのもある。

 

 

 

ここまでに書いたことと少しベクトルは違うけど、苦しいから死にたいっていうことについても書いておく。ある大好きな友人の話。

ずっとたくさんのことに苦しめられつつ葛藤しながらそれでもちゃんと生きてきて、スレてなくて、ただあるタイミングで色々なことが重なってしまってすごく苦しんでる友人がいて。

その子がそのタイミングで「あの時(物理的に危なくなった時)死ねればよかったのに」って電話越しで泣きながら私に言ったの。

私はその子のことめちゃくちゃ大好きだったからその子の声を聞いてるだけでとても苦しくて、でも8千キロ以上離れた場所にいて飛んでいけるはずもなくて、近くにも行けないことが余計苦しかった。

私はその時、彼女の「死にたかった」に対して、「言うと思った」とだけ返したんだよね。で、後になってそれについてお礼を言われた。あの時めんどくさいこと言わないで「言うと思った」って言ってくれて有難うって。それで余計に、死について考えるようになった。(というより、死への姿勢とか発言について?)

 

近くにいれなかった私が「死なないで」とかそんなチープな言葉言う資格ないと思ったっていうのもそうだけど、ずっとずっと頑張ってきて、緊張の糸がぷつんと切れた状態の人に対して、他人がどうこう言うのってただの押し付けでしかないと思ったからそういう発言をしたんだけど。

勿論、鬱病とかで衝動的に、みたいな状態の人から目を逸らさないことは大事(私の近しい人もそうだった、目をそらしたら何するか分からない状態)だけど、悩んで悩んで頑張ってきて、それでも「ああダメだ」って思ったその時にさ、「生きてればいいことある」とか、「命は大切だから」とか、「命を粗末にするな」とか。

そうやって自殺やらを真っ向から否定する人たちは、そういう押し付けがあること、そうやって当人を苦しめてる可能性もあることをどこまで分かってるんだろうと疑問。

命は大切だなんてそんなこと分かってるよ多分。それでも苦しいから終わらせたいって言ってる人に対して上に書いたような言葉しかかけられない人って何?

そもそもそこまでの状態にならないといけないところまで当人が堕ちてるのに気づかなかった人間がぴーぱーぴーぱー言う筋合い無くない?って私は思うのですよ。

その人の地獄とか苦しみはその人のものであって、誰かが測れるものでも感じれるものでもないのになんで押し付けがましくなっちゃう人いるんだろ〜。精神論で乗り切れるなら自殺する人なんてそもそもいないって。その人のためなんて言って、結局自分のエゴ優先して強者の理論を押し付けてるだけ。多分そうやってその人の心は少しずつ死んでいくんだよ

「お疲れ様」って言って、どうせ終わらせるなら少し一緒にいる時間もらって、っていう考えはないのかな?私の友人への言葉が友人にとってはよかったらしい、ということも含めて、逃げられるところがあれば或いは、とも思うの。てか最初から逃げてもいい、頑張らなくてもいいという選択肢があればそもそもそんな事態にならないとも。

 

とどのつまり、もっと優しい社会になればいいなぁってことなんだけど。

 

これはとてもセンシティブな話題だし、思い描いてるシチュエーション毎に賛否両論あると思うけど私は上記のように考えています。

 

 

そういえば、今は特にタイムリーだけど、感染症で死んでしまうということに関しても。

「COVID-19の死「だけ」を「あってはならないこと」とか「命が軽んじられている」みたいに言う人がたくさん観測されますけど、それは平生よりいろんな生や死が見えていないっていうことなんでしょう」(Twitterのとある方のツイートをお借りしてます、、)

これ、私が最近ずっと思うこと。この世に生まれ落ちた瞬間に私たちは絶対にいつか死ぬじゃん。明日とか来週とかに事故や突然の病気で死ぬかも、なーんて私は毎日心の片隅で思ってるんだけど、だからこそ感染症だけを理由に騒然となる世の中が私の腑に落ちてこない。だって死はいつだってやってくる。

亡くなってしまった方には勿論ご冥福をお祈りするけれども、死に方に優劣も何も、情を集めるヒエラルキーも存在しないはずなのにな、って。

 

私の場合、私が小学生くらいの頃兄が突然発作起こして、お兄ちゃん死んじゃうの?って場面を見てしまったから(幼かったこともありガチのトラウマ)、それだけ死が身近にあるって認識できてるけど、それってそんなに日常から離れた感覚なのかな…わからん。

 

 

まあ何にせよ、死って生きてるものすべてに訪れるわけだから、皆もう少しフランクに死についてとか話していいと思うんだけどなぁ。息してるのと同じくらい、死ぬことって自然で当たり前で身近な事象だと思うの。いいじゃない、どうやって命終えられたらいいなーとか友達との会話で普通になっても。

 

うーん終着点も微妙で少し支離滅裂になっちゃったけど、最後にある言葉を引用して締めます

「われわれはこの世に生まれた瞬間から、常に死の可能性をはらんで生きている。『生』は『死』に向かって進行しているのであり、生きることとは、すなわち、死につつあることである。」(河合隼雄、『影の現象学』より)


以上!