WANDERLUST

"袖触れ合うも他生の縁"

自由と「地球を生きる」こと

 

 

セーシェルの海でボート乗ってる動画をあげた時に、とある友人に言われた言葉が、「なんか○○(私)地球を生きてるね」だった。

これ、まじでベストワードオブザイヤーだと思ったし、ここから色々思考整理できたから書いとく。関連するちょっとした苛立ちも一緒に書いて2019年中に供養しとく。

 

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この言葉がとても良いと思ったのは、私が旅が好きな理由がそこに詰まってるから。

私が旅するのって、そこにいる人のお喋りとか、匂いとか、街も自然も日常のどんな風景も、そこにいかないと味わえないもので、それらを全身で感じるのが好きだから。空気感とか人々の生活のリズムに出くわして生まれた感覚・思考も全部。

あと、そこの人たちにとって何が大切なのか、重んじられてるのか、私の生活圏との違いは?って思考するのも楽しい。その中でやっぱり人は、良くも悪くも、普遍的に人なんだなって感じられるから。

私も写真好きだから否定するわけじゃないけど、こういうのって、インスタ映え!!みたいなことばかり考えてたら感じられない、自分の中にすとんと落ちていく感覚が鈍る気がする。

あと事前にめちゃくちゃ旅程決めて行くような「旅行」も私の感覚にはそぐわないんだけど、縁の話もその辺だよね。自分がもたらしたにしろ単なる偶然にしろ、何事にもタイミングはあると私は思っていて、その時その瞬間にしか得られない出逢い・事象があるから楽しい。行き当たりばったりだと余計に!

ネットのお陰で世の中死ぬほど便利だし、その有難さも私だってたくさん享受してるけど、今ここにつらつら書いたようなことって、画面越しで知るだけじゃ(普通は)自分の感覚として後に活かせることないと思うんだよなあ。

五感を駆使して地球を味わうのが旅だと思うから、地球を生きるって言葉ほんとに最高すぎ、笑

 


もう一つの理由は、自由を体現してる言葉だと思うから。

別に日常に不満があるわけではなく、寧ろ超絶幸せに生きてるし自分最高って思ってるけど、多分旅で得られる別の解放感のような感覚こそが「地球を生きる」ことなのかなと思う。

自由って、何かしら弁えてないと得られないものじゃん。で、ある程度弁えてないと旅って気持ちよく出来ないと思う、自分にとっても現地の人にとっても。そうやって弁えた自由から生まれるのって信頼とかなんだよね多分。

だからこそ、自分も人も好きになれるし、自然も大切。自由に生きられる全ての土台に万歳ってなる。

 

 

 

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少し軸はずれるけど、この辺りの自由の感覚って、私の価値観にもめっちゃ関係してる。私、誰かが言い方とか文脈を考慮せずすぐに否定的な発言するのとかまじで大っ嫌いなんだけど。それってなんでなんだろう、その価値観が自分にとって全てだからなのかな??

厳密に言うと、意見を言うとか、価値観を持つことは素晴らしいけど、それを人に押し付けてくる人が大っ嫌いなんだわ。意見を言うことと押し付けることのラインって全然違うという前提で。

 


例えば、国際協力とかSDGsとか社会的なことに精力的に敏感で、自身も色んな固定観念とか”イメージ”に苦しめられてきたはずの人が、「化粧は女性のマナー、だからあなたもしなきゃダメだよ」って発言してたりしたのすごくショックだった。

(あと、否定の話とは少しずれるけど、国際協力が、とか、途上国の子たちのために、とかなんとか言ってる割には目の前で息してる人間に全然敬意払えてないんじゃない?って人も結構見てきた。)


ほんの一例だけど、社会的な活動してる人がそんな感じだとほんとに残念だなって思う…。

目の前にいる人を尊重できないのに成し遂げられることって何?言葉悪いけど思い上がるなって感じだし、時代の価値観が変化してきてる中で一つの価値観だけに囚われるって楽しいの?まあそれは誰にも迷惑かけてないからいいとして、押し付けてくるのは一体何様?

 

化粧の例でいえば、「化粧はマナー」っていう価値観って、ほぼ社会のノームを刷り込まれた形で入ってきてる気がするんだけど、そこにあなた自身の思考はきちんと生きてるの?って思う。

(そもそも外見でその人を価値付けするなんてこと、傲慢すぎて笑止千万だと思うけどまあそれはここでは置いといて)

たしかにマナーの文脈で言えば、外見は一発で印象を与えるから、社会人は清潔感を保つことはそりゃ求められると思う。じゃあ化粧って本当に必要なこと?だってめちゃくちゃ毎日努力して肌を綺麗に保ってたら最早化粧なんていらないじゃん。

そういう意味じゃないならどういう文脈で化粧はマナーって言ってんの??笑笑

化粧しなきゃ美しくないってこと?肌めっちゃ綺麗にしてて清潔感最上級でもすっぴんだとブスなの?考えれば考えるほど本当に理解できない…


ちなみに化粧が好きなのは素敵だしちょっとテンションあがるのは分かるよ、それを自分の武器・プラスにするのは最高だと思う。けど、それを誰かを結果的に貶める要素として使ってるのならそれは貧しいし生きづらいと思うんだ〜

 

マナーだからやりなさいって、結局やっていないお前はダメっていうラベル貼ってることとほぼ同義な気がする。なんか説明難しいけど。まあ要するに押し付けないでくださいってことなんだけど。てかべつに誰かが化粧してなかったところでそんなに気にならないのは私だけですかwwwwww


この辺りって、相容れないならそれはそれで、あああなたはそれでハッピーなんだねバイバイ!で済む話だと思うんだけど、私も俺も社会のわけわからんノームに耐えてるんだからお前も耐えろよ!って感じなのかな?笑笑  私は絶対やだねそんなの笑笑

 

 

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自由の話に戻るとね、日々色んな感覚を得る中で、みんな同じだけど違うってわかるからこそ、自分の思うことを誰かに押し付けて生きるのは、ワクワクを減らしてる気がしてもったいないじゃん。生きづらい世の中より、それぞれが責任持ちつつ自由にやる方が楽しい。


勿論ここに書いてあることだってあくまで私の意見だし、誰かが私とか他の人に押し付けてこない限り押し付けるつもりはない。仮に私が人に何か押し付けてる可能性は余裕であるからそれは改めたい。

その辺のチューニングのために、日常と非日常を行き来するのって最高の方法だと思うし(私で言うと旅)、地球を生きてるって思えるんだ多分。非日常の感覚を全て日常にも落とし込むっていう感じ。

地球にあるもの全部と一緒に生きる。そんでもって地球に生かされてるのも勿論。

支離滅裂なんだけどわかるかな、まあ分かってもらいたい人に分かってもらえればそれで良いけど!

これからも事あるごとに「うわあ生きてる!!」って全身で思えるように、自由に、かつその時々を感じながら漂って地球を生きていきたい