WANDERLUST

"袖触れ合うも他生の縁"

とある友人に捧ぐやつ

 

 

(とある友人に捧ぐと言いつつ、本人は多分一生気づかない気がする。でも個人的にはある意味ショッキングなことで、自分のこともまた少しわかった気がするので書いておきます。)

 

私は自分で言うのもなんだけど基本的に友人のカウンセリングをする側というか、もたれかかってもらう側にいると思っている。

知らんけど何故か突発的にやばいという時の電話がかかってくることとか(普段はないのに)、普通にランチしてたら相手が突然泣いてしまった(もしくは私が泣かせている…のか…?)とか。

 

それがどういうメカニズムでそうなってるのは正直よく分からない笑、のでこの人々の相談?相手は私に務まるのかと思ったりもするけどそれはさておき。

 

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前置きはそんなところで、一方私は真の意味で弱音を吐くことは無い。増してや(悲しいとか苦しい由来で)泣きながら他人に縋るなんて私にとっては本当にあり得ないことで、大好きゾーンの中にいる人たちの中でさえ、まじでほぼ皆無。嬉しくて泣くのは良くあるけど。

勿論このラインまではいつも話しているからとか、自分の中で腑に落ちたor全てではなくとも消化できたことは話す。それは私の核で価値観だから。

でも核の先にある、向き合いきれていない自分のガチの深淵はあまりにドス黒だなと自覚しているかつ外に出しても何にも成らないから出さないようにしている。ていうか口にするのも反吐が出る。

あとはそもそもコントロールするのも割と上手いので、飾ったりとかうまく回避した回答では無い、本音というやつはあり得んほど表に出ない笑 当然家族にも死んでも言わない、言えない。別に不仲ではない。

 

ほぼ、と言ったのは実は2人それができる相手がいるから。どちらも高校の友人。2人は、普段「私は私だから大丈夫」ってしれっとしてる自分がドンガラガッシャーーン!!!って崩れる瞬間を見せれる、本当に尊い友人たち。鬼優なのでいい子いい子してくれます、好きです。

(1人は今少しだけ心が遠いところにいるけど、でもその人の存在も私にとっては絶対なのできっとまた近づくと思ってる)

 

で本題、何がショッキングだったかって、どうやらその相手が増えたことなんですよ。これを宛てている人のことです、本人はマジで絶対読まないだろうなウケる。何年後か分からないけどいつか読ませよう

 

これについて、すっっっごい尊いなって暢気に思いながらも今回はぶっちゃけ不思議で堪らない。高校はさ、行事も人間関係の枠組みも多いから心通わすも本音出すのも楽じゃん。何かのタイミングであることを相談した時とか、そもそも青春真っ只中で今より心も不安定だし。

でも今回は大学の友人。大学学部が同じというだけで特に密度の濃い関係性を保てるような共通の枠組みにいた訳でもなく、お互い直感的なところから始まってぬるぬるっと(?)仲良くなっていったという。いや密度の濃い時間は過ごしたんだけど、自分に高校ほどの衝動行動とか不安定さが無かったから不思議&ショッキングなのです。(入試の為に死ぬほど自分の中身と殴り合ったこともあり大学生中はしれっとしてることのが多かったと自覚している)

 

というわけで自分なりに分析?解釈をしてみた!!!!

 

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まずシチュエーションから思い返してみる。

私が突然ギャン泣きする時に共通しているのは、それまで普通に話していたのに、何かの話の拍子で突然涙が出てきてしまうこと。

しかも何故か決まって夜の公共の場&毎回外のその辺のベンチ的なところで。日比谷の滅茶苦茶キラキラ✨したとこでやってしまったこともある。傍目にはただのヤバいやつだよね

その瞬間はいつも「私は神である!!」なんて繕ってる自信なんて皆無になり、文字通り目から水、弱音というか本音ゲボゲボ。これが醜態じゃなかったら一体何?っていう。

(公共の場でギャン泣きする度通行人のお目汚ししてごめんなさい…と思うけど止まらないので仕方ないてへぺろ)

 

 

シチュエーションは分かった。じゃあ次にその人たち自身に共通してることって何でしょう。結論、分かりませんでした。強いて言うなら私の友人たちの中でも群を抜いて優しい・お人好しとでもいうのか…?

考えてもとりあえずシチュエーション以外の自分の曝け出し要因は分からん。なんで今回、そこまで共通の枠組みの中にいなかった友人がそうなったのかも分からない。なんか多分見抜かれてるからもういいか、みたいな、もやもやっと感覚はあるけどきちんとした言語化は不可なのでとりあえず諦めます。

 

ただ二つ確信したことがある。

一つは、私が誰かに縋りギャン泣きした時から、私の中でその人の存在が絶対的になるということ。なんだろう、一回醜態晒しちゃったからもういっかっていう。ストッパー外れる感じ。

もう一つは今回の友人がそうなるまでに高校の友人と比べて長ーい時間がかかってること。枠組みがない分時間はかかるけど(通算今年で6年目)まだここまで成熟する関係性を自分は持てたんだって、奇跡じゃないですか?(クサいって思った人は修行が足りないので滝行でもしてきたらいいと思うよ)

 

だって理性と知性で無駄に賢くなっちゃってる年でももう一段階深く付き合えるって尊くない??一方それって「私これからもっと君に寄っかかっていくね!よろ!」って言ってるのと同義だからちょっとごめんねとは思う。しかも残念ながらそういう相手には赤ちゃんor5歳児モードの瞬間が増えてしまう。本当に3人ともご愁傷様です有難う。勿論その分私も絶対負けずに支え返すよ

 

とまあ、あんまり締まらなかったけど分析&解釈はこんなところ。

正直大学ではこういう相手は多分できないと思っていた。のですごいなー、本当に好きだなって噛み締めましたとさ。ちゃんちゃん!

 

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補足しておくと、私にとってのそういう相手が大好きゾーンの中でも激レアだからといって、大好きゾーンの他の人たちを実は信用していないとか絶対ではないとかそういう訳でもなく、なんか突発的に醜態晒すことで私の中でのその人に私が勝手に役割を追加してしまった、という感じ。

(役割の例を挙げるとお馴染み大好きTみ氏は、醜態を晒すのはしないけどこれまた私にとって絶対的な人で、唯一叱咤してパワーをくれる・しっかりしてて論理的?な相談ができる友人)